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自分にとっての中国古典詩

  それは自分の世界を広めてくれた。今に至るまで。

  初めて知った高校時代は漢字ばかりで作られた詩に面白さを感じた。日本語読みする時は語順もやや変える事にも。もっと感じたのは、内容。日本の詩や俳句とスケールが違う。「飛流直下三千尺。疑是銀河落九天」などと。中国という国のダイナミックさを感じたものだ。そこから国際性も養われていったかもしれない。国際性は英語から養われる事になっているが、残念ながら僕も英語からは外国の事には想いを馳せることは出来なかった。学校を卒業しても、石川忠久先生などのラジオの中国古典詩の番組を聞き続けた。一部の友人たちにふざけて、冗談を中国語で書いた事もある。

  近年になり、フェイスブックで中国・台湾の人たちとも付き合うようになり、簡単な中国語ならば書いて通じるのではないかと思い、そうした所、本当に通じ、相手に喜ばれた。又、中国語と英語は語順が同じだから、辞書で単語さえ調べれば、簡単な英語ならば書けるのではないかと思い、アメリカ人やフィリピン人相手に簡単な英語のコメント文やメールを書いたところ、これも通じたわけである。お陰で英語を書く事も楽しくなった。確かに、英語は外国語であり、そのスペルを記憶する事は難しいが、記憶しなくても良いと思う。忘れたら、辞書でまた調べれば良いわけだから。

  楽しいだけでなく、以上は僕の視野を広げたし、生き方の多様性とか、他人の気持ちを察する事にも役立っているのかもしれない。とにかく、学ぶことに損はないわけである。